当時は外郭(そとくるわ)まであった
埋門とは、石垣などの間に築かれる裏門の一形式で、1676年(延宝4年)の規定によると普段は扉を閉めていました。弘前城の築城当初、今の馬屋町一帯も城郭の一部として「外郭」(そとくるわ)と呼ばれていましたが、1682年(天和2年)に川筋の整備に伴って、郭外の扱いとなりました。
現在の石垣は、紀年銘から天保年間に整備されたことが知られています。
基本情報
場所 | 西の郭 |
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建築年代 | 不明 |
位置
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当時はとても狭かった
藩政時代初期、馬が1頭通れるだけの幅だったとされ、今に見られる門は、後年に拡張されたもののようです。
幅が狭かった理由は、戦の時に敵に易々と侵入されないためだったのかもしれません。
墓石?
よく見ると石垣に字が刻まれているのがわかります。墓石か何かを再利用した可能性があるとのことです。
馬屋町
埋門と目と鼻の先に、工業高校があります。築城当初、この一帯は「西外の郭」と呼ばれ、百石取りの侍屋敷と藩士の馬を慣らす馬場や
周辺施設・スポット
西濠
弘前公園の西の外周を囲むこの西濠は、さくらまつり期間中には有料のボートが貸し出されています。
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南内門
杉の大橋を渡って二の丸に入る時に通過する門です。簡素な外見は、戦国の威風をよく伝えています。
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未申櫓
未申櫓のある二の丸の一角は、松林を形成します。
この櫓とは別に、本丸と西の郭には未申櫓跡がありますが、全くの別物となります。
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蓮池濠
蓮池の北側の岸には東屋がしつらえられており、季節がくると、水面に浮かぶ蓮に目をやりつつ休息を取ることができます。
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最寄りの出口
工業高校口
工業高校口は、かつて埋門があった場所がそのままに活用されています。入城してすぐのところに古木名木として名高い「根上がりイチョウ」があります。
最寄のトイレ
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工業高校口前トイレ
西の郭にある埋門跡のすぐそばにあります。
桜のシーズンでは、この付近に桜のトンネルが出来ますので、ぜひご覧ください。
トイレの標識は、人々に解りやすい標識でありながら、公園の景観を損なわないデザインになっております