弘前城の正面玄関
弘前公園の正面玄関とも言えるのが、この追手門。藩政時代にも、初期を除いてほとんどの期間、この門が正門とされていました(詳しくはこぼれ話を参照下さい)。
園内に現存する他の4つの門同様、この追手門も2層の櫓門となっています。全体的に簡素な
門の周辺
周囲の濠や土塁もよく保存・整備されており、藩政時代の趣きが感じられ一見の価値あり。また、濠沿いには桜の木も植えられていて、花見の時期にはピンクの桜が一面を彩ります。
4月中旬~10月ごろまでは弘前名物の、いわゆるチリンチリンアイスの屋台もここに出ますので見逃せないところ。
さくら祭りをはじめ、園内散策ルートの出発点としては、やはりまずこの門から、というのがオススメです。
<看板内容>
史跡 津軽氏城跡 弘前城
史跡指定 昭和27年3月29日
弘前城は、津軽藩主代々の居城で慶長16年(1611)に二代藩主津軽信枚によって築かれた城である。
面積約492,000平方メートル(約149,000坪)を有し、三重の濠と土塁でめぐらされた城郭である。
現在城跡には、天守閣をはじめ隔櫓3棟、城門5棟の建造物が残されており、いずれも重要文化財に指定されている。
弘前城には、築城当初10棟の城門があったとされているが、現在二の丸南門、二の丸東門、三の丸追手門、三の丸東門、四の丸北門(亀甲門)の5棟が残されている。
弘前城の城門は、周辺を土塁で築き、内外に枡形を設けた2層の櫓門であるが、門の全面に特別の門(高麗門)などを設けていないことや、1層目の屋根を特に高く配し、全体を簡素な素木造りとしていることなどから、全国の城門の中でも古形式の櫓門として注目されている。
基本情報
場所 | 三の丸 |
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建築年代 | 慶長16年(1611年) 2代藩主 津軽信牧 |
指定年月日 | 昭和12年7月29日 |
棟高 | 11.7メートル |
位置
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櫓門の出窓
櫓門である追手門には、出格子窓が備えられています。門の内側にある部屋からこの窓を通して、外部を監視していたものと思われます。
銃眼
二階にも出格子窓が備えられています。その隣にある三角の穴は、銃眼です。門を攻め寄せて来る敵を、ここから狙い撃ちするために設置されていました。弘前城の史跡に残されている銃眼は、他の地域の城の銃眼よりも銃口の出る穴が小さくなっています。
城門の高さ
追手門の内側から外側を眺めた様子。弘前城に現存する門は、間口の高さが他の地域の城門に比べて高く作られています。これは、積雪時にも槍を掲げながら門を通過できるようにしているためだと言われています。雪国の城ならではの工夫です。
土塁の向こうに見える茶色い建物は、建築家・前川國男が設計したことで有名な弘前市役所です。
こぼれ話
実は正門じゃなかった
弘前城には、築城当初、10棟の城門があったとされていますが、現在まで残っているのは二の丸南門、二の丸東門、三の丸追手門、三の丸東門、四の丸北門(
中でも追手門は、他の城で言う「大手門」にあたり、弘前城の正門とされています。
もっとも、築城当初の正門は、城の北側にある北門(
それが1665年(寛文5年)、碇ヶ関街道の整備が進んだことで参勤交代の経路が変わった結果、こちらが正門とされたのだと言われています。
周辺施設・スポット
弘前城植物園
園内には、1500種、12万4000本の樹木などを植えており、四季折々の草花、庭園なども楽しめます。
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市民会館
弘前市民会館は、昭和39年の竣工。ホール内装は全て木製で、優れた音響特性を誇ります。
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市民広場
追手門口より弘前公園に入り、公衆電話を左手に見ながら、並木道を歩いてゆくと、右手に広々とした芝生の空間が飛び込んできます。
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鷹揚園庭球場(テニスコート)
こちらでテニスをすることができます。
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最寄りの出口
追手門口
市役所の脇には100円バスの停留所があります。日中であればタクシーも常時3、4台が待ち合わせています。
追手門付近には弘前市役所や市立観光館、津軽藩 津軽為信像などがあります。
最寄のトイレ
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追手門前トイレ
追手門をくぐって、すぐそば、左手の方向にあります。
トイレの標識は、人々に解りやすい標識でありながら、公園の景観を損なわないデザインになっております。