時太鼓櫓跡 (トキダイコヤグラ アト)

更新日:2012年03月29日(木)
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時を告げる櫓跡

弘前城(弘前公園)時太鼓櫓跡

場内で時間を知らせるために太鼓を打ち出した場所で、1686年(貞享3年)にはじめられたと言います。時太鼓は、まず数十回捨て打ちして明け6つ(午前6時の前後2時間)を打ち、他の時刻は3回捨て打ちしてから打ったそうです。
1871年(明治4年)の廃藩置県後に、三の丸にあった稽古館とともに最初に解体されてしまいました。

捨て打ちとは、まず気づかせるために打つ合図のこと。
当時の庶民は、時計(当時では和時計)を持っていなかったため、ここで太鼓を打ち鳴らし、知らせたものと思われます。

基本情報

場所 三の丸
建築年代 不明

位置


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弘前城(弘前公園)時太鼓櫓跡の様子

小高い場所

ちょうど「二の丸大枝垂れ」から「辰巳櫓」へ行くまでの間にあります。少し高くなったところに太鼓は設置してあったようです。

周辺施設・スポット

弘前城(弘前公園)南内門

南内門

杉の大橋を渡って二の丸に入る時に通過する門です。簡素な外見は、戦国の威風をよく伝えています。
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弘前城(弘前公園)辰巳櫓

辰巳櫓

城郭にとりつく敵への攻撃や物見のために造られたものです。辰巳は南東に当たります。
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弘前城(弘前公園)杉の大橋

杉の大橋

築城当時、スギ材でつくられた橋であったため、杉の大橋という名が付けられたとされます。
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弘前城(弘前公園)下乗橋

下乗橋

内濠を隔て、本丸と二の丸に架かる橋です。藩政時代、二の丸側には下馬札が置かれ、藩士は馬から降りるよう定められていました。
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最寄りの出口

弘前城(弘前公園)東門口

東門口

追手門口と同様に、ここから入城する観光客も多くいます。まっすぐ進めば、どの出入り口よりも早く天守閣を見ることができます。
東門口の付近には、津軽為信公銅像で有名な「弘前文化センター」があります。文化センターには駐車場がありますし、その周辺には路線バスと100円バスの停留所があります。

最寄のトイレ


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未申櫓前トイレ

南内門から未申櫓へ行くまでの間にあります。
トイレの標識は、人々に解りやすい標識でありながら、公園の景観を損なわないデザインになっております。

跡一覧

弘前城(弘前公園)子の櫓跡

子の櫓跡

櫓の中には、武具の他に藩庁日記なども保管されていたと言います。

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弘前城(弘前公園)本丸戌亥櫓跡

本丸戌亥櫓跡

城郭に取り付く敵を攻撃したり物見のために造られました。

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弘前城(弘前公園)籾蔵跡

籾蔵跡

平成12~13年の発掘調査で、籾蔵を構成する礎石列が確認されました。

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弘前城(弘前公園)館神跡

館神跡

館神は、2代藩主信牧が太閤豊臣秀吉の木像を御神体として安置した場所でした。

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弘前城(弘前公園)埋門跡

埋門跡

弘前城の築城当初、今の馬屋町一帯も城郭の一部として「外郭」と呼ばれていました。

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弘前城(弘前公園)旧天守跡

旧天守跡
(本丸未申櫓跡)

この地には弘前城築城当初、5層の天守がありました。

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弘前城(弘前公園)御宝蔵跡

御宝蔵跡

この御宝蔵には、青山と呼ばれた琵琶や、小野小町が持っていたと伝えられる琴があったといわれました。

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弘前城(弘前公園)御金蔵跡

御金蔵跡

1673年(寛文13年)の絵図面に記載が見られますが、1680年(延宝8年)に建設されたとも言われています。

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弘前城(弘前公園)本丸井戸跡

本丸井戸跡

籠城の際の生命線となる井戸の跡です。

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弘前城(弘前公園)本丸御殿玄関礎石

本丸御殿玄関礎石

この礎石に、本丸御殿の玄関の柱が建てられていました。

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弘前城(弘前公園)御日記蔵跡

御日記蔵跡

弘前藩庁日記と呼ばれる日記は、現在4200冊余が残されていますが、これを保存した蔵がここにありました。

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弘前城(弘前公園)武者屯御門跡

武者屯御門跡

長勝寺構の黒門と同様の高麗門形式で、門扉は2枚扉になっていたといいます。

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弘前城(弘前公園)時太鼓櫓跡

時太鼓櫓跡

場内で時間を知らせるために太鼓を打ち出した場所で、1686年(貞享3年)にはじめられたと言います。

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弘前城(弘前公園)賀田御門跡

賀田御門跡

賀田御門は、三の丸の北門として旧賀田城(岩木町大浦城)の大手門を移築したと伝えられています。

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弘前城(弘前公園)西の郭未申櫓跡

西の郭未申櫓跡

この櫓は、三階建てであったことがわかっていますが、煙草の火の不始末で焼失してしまったそうです。

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[更新日:2012-03-29| カテゴリー: ]
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