弘前城は、藩政時代に建造された天守・櫓・城門が現存し、当時の意匠を今に伝える城郭として、国の重要文化財に指定されています。
本コースは、弘前城の1棟の天守・3棟の櫓・5棟の門に加え、9つの橋と武家屋敷が楽しめるコースとなっています。
ルートの特徴
また、公園からほど近い位置にある武家屋敷も観覧することができます。追手門から入城して本丸へ向かい、武家屋敷のある仲町へと出ます。その後、亀甲門(北門)から再び園内に入り、東門へと抜けるルートとなっております。
弘前公園内の主な遺構をすべて見て回ることができるコースなので弘前城をゆっくり楽しみたい方におすすめです。
所要時間
移動時間のみで約40分程です。
観覧時間を含めると2~3時間見込むことをおすすめします。
ルートの地図
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ルート
追手門
三の丸に現存する櫓門です。
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約4分
杉の大橋
杉の大橋の名称は、スギ材が使われていることに由来するとされます。
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約1分
南内門
二の丸に現存する城門です。
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約1分
未申櫓
未申櫓の名称は、天守から見た方角を十二支で示したもので、未申は南西に当たります。
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約3分
辰巳櫓
辰巳櫓の名称は、天守から見た方角を十二支で示したもので、辰巳は東南に当たります。
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約2分
下乗橋
かつて下乗橋の二の丸側には下馬札があり、どんなに身分が高くても、許された者以外は馬から降りるよう定められていました。
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約1分
南口券売所
約1.5分
天守
江戸時代に建造された天守としては、東北唯一のものです。別名、「御三階櫓」と称される天守は、藩政時代の史料が展示される史料館として活用されています。
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約2.5分
鷹丘橋
鷹丘橋の名称は、かつて弘前城を別名、「鷹丘城」と呼んだことに由来するといわれます。
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約1分
武徳殿休憩所
武徳殿休憩所は、かつて柔剣道の道場だったものを、土産物店や喫茶店、休憩スペースを備えた休憩所として開館しました。
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約3分
波祢橋
かつてこの橋は、その名の通りはね上げ式だったといわれています。
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約1分
春陽橋
この橋は通行の利便性のため、1932年(昭和7年)12月に架橋されました。
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約3分
一陽橋
この橋は通行の利便性のため、1943年(昭和18年)に架橋されました。
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約3分
旧伊東家住宅
江戸時代後期に建てられたとされ、かつては藩医の住居でした。
旧梅田家住宅
1852年(嘉永5年)に建てられ、俸禄百石の武士である森新次郎の住宅でした。1982年(昭和57年)、市が梅田氏から譲り受け、移築しました。
約3.5分
石場家住宅
建築年代は明らかではありませんが、構造手法からみて江戸時代後期といわれています。
石場家は代々「清兵衛」を名乗り、藩内のわら工芸や荒物を扱っていた商家でした。現在は酒屋を営んでいます。
約1分
亀甲橋
亀甲橋の名称は、四神相応の地でいう「玄武」に由来すると思われます。また隣接する市街地は亀甲町と呼ばれます。
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約1分
北門(亀甲門)
四の丸に現存する櫓門です。
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約2.5分
賀田橋
賀田橋の名称は、旧賀田城(岩木町大浦城)に由来するものと思われます。
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約1分
賀田御門跡
かつてここには、城門として、旧賀田城(岩木町大浦城)から移築された大手門があったと伝えられています。
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約1.5分
丑寅櫓
丑寅櫓の名称は、天守から見た方角を十二支で示したもので、丑寅は北東に当たります。
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約2分
与力番所
かつては各櫓門の1階門扉の左かたに見張番詰所が出窓を伴い設置されていました。現在、東内門の内側に「与力番所」として残ります。
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約0.5分
東内門
二の丸に現存する城門です。
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約0.5分f
石橋
石橋の名の通り、園内では唯一の石で造られた橋です。
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約2分
東門
三の丸に現存する櫓門です。
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