橋 (ハシ)

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杉の大橋(スギノオオハシ)

この橋は、戦になると敵の侵入を防ぐため壊される架け橋でした。そのため、壊すにしても焼き払うにしても、柔らかく燃えやすい性質を持ったスギが用いられたと思われます。

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下乗橋(ゲジョウバシ)

藩政時代、二の丸側には下馬札が置かれ、藩士は馬から降りるよう定められていました。下乗橋の名は、そのことに由来すると思われます。 藩政時代は、戦になると敵の侵入を防ぐため壊される架け橋でした。

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鷹丘橋(タカオカバシ)

弘前城は、1628年(寛永5年)に改称される以前は、鷹丘城(高岡城)と呼ばれていました。 鷹丘橋は、4代藩主信政)が母の屋敷のある北の郭を行き来するために架けたとされます。

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波祢橋(ハネバシ)

1671年(寛文11年)、4代藩主信政が架橋したとされます。 殿様がお忍びで市中へ出向いたり、隠密が殿様の密命を受けて本丸へ出入りしたりする際に用いられたと思われます。

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春陽橋 (シュンヨウバシ)

西濠を隔て、市街地である五十石町と西の郭に架かります。1932年(昭和7年)、市民の通行の利便性のために架橋され、城内では最長の橋となりました。

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賀田橋 (ヨシタバシ)

二階堰を隔て、三の丸と四の丸に架かります。藩政初期、賀田橋から三の丸方向には、大浦城(賀田城)から移築された賀田門(三の丸北門)がありました。

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亀甲橋 (カメノコバシ)

外濠を隔て、市街地である亀甲町と四の丸に架かります。四神相応の地にならい、城外北方にある土地を亀甲町、北門を亀甲門と定めたことから、この橋もまた亀甲橋となったと思われます。

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石橋 (イシバシ)

中濠を隔て、二の丸と三の丸に架かります。1848年(弘化5年)、それまでの土橋が架け替えられ、今に見られるような姿となりました。城内では唯一の石造りの橋です。

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一陽橋 (イチヨウバシ)

外濠を隔て、市街地である紺屋町と四の丸に架かります。1943年(昭和18年)、市民の通行の利便性のために架橋されました。

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