他の記事を探す
橋
杉の大橋(スギノオオハシ) [ 橋 ]
更新日:2012年03月31日(土)

この橋は、戦になると敵の侵入を防ぐため壊される架け橋でした。そのため、壊すにしても焼き払うにしても、柔らかく燃えやすい性質を持ったスギが用いられたと思われます。
下乗橋(ゲジョウバシ) [ 橋 ]
更新日:2012年03月31日(土)

藩政時代、二の丸側には下馬札が置かれ、藩士は馬から降りるよう定められていました。下乗橋の名は、そのことに由来すると思われます。
藩政時代は、戦になると敵の侵入を防ぐため壊される架け橋でした。
鷹丘橋(タカオカバシ) [ 橋 ]
更新日:2012年03月31日(土)

弘前城は、1628年(寛永5年)に改称される以前は、鷹丘城(高岡城)と呼ばれていました。
鷹丘橋は、4代藩主
波祢橋(ハネバシ) [ 橋 ]
更新日:2012年03月31日(土)

1671年(寛文11年)、4代藩主
春陽橋 (シュンヨウバシ) [ 橋 ]
更新日:2012年03月31日(土)

西濠を隔て、市街地である五十石町と西の郭に架かります。1932年(昭和7年)、市民の通行の利便性のために架橋され、城内では最長の橋となりました。
賀田橋 (ヨシタバシ) [ 橋 ]
更新日:2012年03月31日(土)

二階堰を隔て、三の丸と四の丸に架かります。藩政初期、賀田橋から三の丸方向には、大浦城(賀田城)から移築された賀田門(三の丸北門)がありました。
亀甲橋 (カメノコバシ) [ 橋 ]
更新日:2012年03月31日(土)

外濠を隔て、市街地である亀甲町と四の丸に架かります。四神相応の地にならい、城外北方にある土地を亀甲町、北門を亀甲門と定めたことから、この橋もまた亀甲橋となったと思われます。
石橋 (イシバシ) [ 橋 ]
更新日:2012年03月31日(土)

中濠を隔て、二の丸と三の丸に架かります。1848年(弘化5年)、それまでの土橋が架け替えられ、今に見られるような姿となりました。城内では唯一の石造りの橋です。
一陽橋 (イチヨウバシ) [ 橋 ]
更新日:2012年03月30日(金)

外濠を隔て、市街地である紺屋町と四の丸に架かります。1943年(昭和18年)、市民の通行の利便性のために架橋されました。