その他


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玉鹿石(ギョッカセキ)

弘前城の玉鹿石

場所:二の丸、東内門の付近

玉鹿石とは、青森県金木町が原産のにしき石の一種です。藩政時代から多くの人々に親しまれ、にしき石の中でも質の高い銘石として知られます。岩石の中に直径0.5~1.5ミリメートルの丸い粒が散在しているのが特徴です。
公園関係者によれば、園内に玉鹿石があるのは、景観を好ましくするための景石として設置されたものではないか、とのことです。

亀の石(カメノイシ)

弘前城の亀の石

場所:本丸入口の石垣

亀の石は、2.5メートル四方の大石です。
亀の石という名称は、亀の甲羅に形が似ていること、そして鶴の松に対面することに由来するといわれます。
蓮池に3~4メートルの玄武岩があり、1988年(平成元年)までは下白銀町付近の外濠にも2メートル弱の大石があったとされます。亀の石を含め、これら3つの石の点を結ぶと、一直線に北の方位を指したといわれます。
3つの石は、いずれも1610年(慶長15年)からはじまった高岡城(後の弘前城)築城の際に運び込まれ、冬にソリを使って運ばれたとされます。亀の石の原産地は、和徳から運んだという説や、目屋(地名)の山奥から切り出したという説があります。

四神相応の地

亀の石が運ばれた理由は、四神相応の地(※1)に倣い、蓮池の玄武岩は亀の頭、本丸の亀の石は甲羅、外濠の大石はしっぽを表し、これらを玄武に見立て城郭を守ろうとしたといわれます。しかし、蓮池の石はあまりに大きいので運べずに放置したという説や、単に北の方位を示すための石であると推測する公園関係者も多くいます。

※1:四神相応の地とは、風水思想でいう、東に青龍が宿る川、西に白虎が宿る道、南に朱雀が宿る池、北に玄武が宿る山に囲まれた土地をいいます。

津軽為信像(ツガルタメノブゾウ)

弘前の津軽為信像

場所:弘前公園外 市民センター前

津軽為信像は、1909年(明治42年)に山崎朝雲(※1)が制作したものが最初であり、弘前公園本丸に建立となりましたが、1944年(昭和19年)に太平洋戦争における金属回収により、秋田県小坂鉱山へと送られてしまいました。

2000年(平成12年)、銅像再建を願う弘前市民有志により藩祖津軽為信公銅像設立協議会が設立され、2004年(平成16年)4月に古川武治(※2)、武彦父子が制作した新たな銅像が弘前文化センター前に設置されました。
2005年(平成17年)5月、現在の銅像と同型(※3)の石膏像が、弘前市立観光館に設置されました。

※1:山崎朝雲(1867~1954年)は、福岡県出身の彫刻家です。
代表作は文化遺産である「大葉子」、「たかおかみ」などがあります。
※2:古川武治(1918~2004年)は、弘前市出身の彫刻家です。
市内に残る主な作品に、市民中央広場「りんごの乙女の像」、墓地公園「天女像」、運動公園「初代若乃花像」、JR弘前駅「りんごの風」があります。

高さ 3.65メートル

(刀から鎧まで)
1.6メートル
奥行
(前方の刀~後方の刀まで)
1.7メートル

二宮尊徳像(ニノミヤソントクゾウ)

弘前公園の二宮尊徳像

場所:二の丸 丑寅櫓前の池山

1935年(昭和10年)、弘前商工会議所により建立されました。
弘前公園の二宮尊徳像は、雪が降る季節になると藁で織られた笠や衣装を身にまとうことから、公園関係者の粋なはからいが感じられます。