4代藩主が造った橋
内濠を隔て、本丸と北の郭に架かる橋です。弘前城は、1628年(寛永5年)に改称される以前は、鷹丘城(高岡城)と呼ばれていました。
鷹丘橋という名は、由緒ある城の旧名にちなんだものと思われます。この橋は1670年(寛文10年)、4代藩主
藩政時代は、敵の侵入を防ぐため、戦時には壊される架け橋でした。
基本情報
架け替え | 1998年(平成10年)3月 |
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橋の長さ | 16.3メートル |
橋の幅 | 5メートル |
位置
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緩やかに傾斜
北の郭の舘神跡近くから眺めた鷹丘橋の様子。杉の大橋や下乗橋と異なり、橋げたが低いのが特徴です。
これは、弘前公園の敷地全体が南から北に向かって緩やかに傾斜しているためです。
標準木
鷹丘橋の上から、北の郭を眺めた様子。北の郭内の武徳殿前に生えるソメイヨシノは、弘前公園の桜の開花を告げる標準木とされています。
標高差
本丸の高台から鷹丘橋と北の郭を眺めた様子。本丸と北の郭の標高差がよくわかります。
周辺施設・スポット
天守/御三階櫓
江戸時代に築かれ日本に現存する12の天守のうち、最北端に位置する天守です。
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内濠
本丸、二の丸、北の郭をそれぞれ隔てる濠です。二の丸から本丸へは下乗橋が、北の郭から本丸へは鷹丘橋がかかります。
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武徳殿休憩所
武徳殿は、柔剣道の練習場として明治末期に建設されたものです。現在は土産物店や喫茶店などになっています。
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市民広場
追手門広場をくぐり、桜や松の林が続く左手に広がるのが、全面芝生の市民広場です。
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最寄りの出口
中央高校口
ここから入城するとすぐ近くに「緑の相談所」があります。また外濠に沿って公道を北側に進むと「津軽藩 ねぷた村」が見えてきます。
中央高校口の付近には、路線バスの停留所があります。車で来城の方は、ねぷた村の駐車場も便利です。
最寄のトイレ
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武徳殿前トイレ
武徳殿へ向かって左手にあります。
トイレの標識は、人々に解りやすい標識でありながら、公園の景観を損なわないデザインになっております。