御日記蔵跡 (オニッキグラ アト)

更新日:2012年03月29日(木)

書き続けられた日記

弘前城(弘前公園)御日記蔵跡

弘前藩庁日記と呼ばれる日記は、1661年(寛文元年)に4代藩主津軽信政の初入部以降、明治に至るまで綿々と書き続けられ、津軽藩政のみならず近世幕藩体制を知る重要な史料となっています。
この日記は、現在4200冊余が残されていますが、これを保存した蔵がここにありました。

基本情報

場所 本丸(有料区域内)
建築年代 不明
本丸入場料金 大人:300円/子供:100円
団体(10名以上)の場合
大人:240円/子供:80円

位置


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弘前さくらまつり期間中の弘前城(弘前公園)御日記蔵跡

平らで歩きやすい

咲いている桜は、ソメイヨシノです。平らで歩きやすく、日当たりもいいです。


冬の弘前城(弘前公園)御日記蔵跡

奥には天守閣

雪が積もったところです。奥に見えるのは天守閣です。

周辺施設・スポット

弘前城(弘前公園)天守

天守/御三階櫓

江戸時代に築かれ日本に現存する12の天守のうち、最北端に位置する天守です。

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弘前城(弘前公園)旧天守

旧天守閣跡(本丸未申櫓跡)

この地には弘前城築城当初、5層の天守がありました。しかしこの天守は1627年(寛永4年)、火事により焼失してしまいます。

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弘前城(弘前公園)武者屯御門跡

武者屯御門跡

長勝寺構の黒門と同様の高麗門形式で、門扉は2枚扉になっていたといいます。
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下乗橋

弘前城(弘前公園)下乗橋

内濠を隔て、本丸と二の丸に架かる橋です。藩政時代、二の丸側には下馬札が置かれ、藩士は馬から降りるよう定められていました。
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最寄りの出口

弘前城(弘前公園)東門口

東門口

追手門口と同様に、ここから入城する観光客も多くいます。まっすぐ進めば、どの出入り口よりも早く天守閣を見ることができます。
東門口の付近には、津軽為信公銅像で有名な「弘前文化センター」があります。文化センターには駐車場がありますし、その周辺には路線バスと100円バスの停留所があります。

最寄のトイレ


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南口券売所前トイレ

本丸内、南口券売所付近にあります。
トイレの標識は、人々に解りやすい標識でありながら、公園の景観を損なわないデザインになっております。

跡一覧

弘前城(弘前公園)子の櫓跡

子の櫓跡

櫓の中には、武具の他に藩庁日記なども保管されていたと言います。

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弘前城(弘前公園)本丸戌亥櫓跡

本丸戌亥櫓跡

城郭に取り付く敵を攻撃したり物見のために造られました。

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弘前城(弘前公園)籾蔵跡

籾蔵跡

平成12~13年の発掘調査で、籾蔵を構成する礎石列が確認されました。

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弘前城(弘前公園)館神跡

館神跡

館神は、2代藩主信牧が太閤豊臣秀吉の木像を御神体として安置した場所でした。

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埋門跡

埋門跡

弘前城の築城当初、今の馬屋町一帯も城郭の一部として「外郭」と呼ばれていました。

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弘前城(弘前公園)旧天守跡

旧天守跡
(本丸未申櫓跡)

この地には弘前城築城当初、5層の天守がありました。

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弘前城(弘前公園)御宝蔵跡

御宝蔵跡

この御宝蔵には、青山と呼ばれた琵琶や、小野小町が持っていたと伝えられる琴があったといわれました。

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弘前城(弘前公園)御金蔵跡

御金蔵跡

1673年(寛文13年)の絵図面に記載が見られますが、1680年(延宝8年)に建設されたとも言われています。

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弘前城(弘前公園)本丸井戸跡

本丸井戸跡

籠城の際の生命線となる井戸の跡です。

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弘前城(弘前公園)本丸御殿玄関礎石

本丸御殿玄関礎石

この礎石に、本丸御殿の玄関の柱が建てられていました。

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弘前城(弘前公園)御日記蔵跡

御日記蔵跡

弘前藩庁日記と呼ばれる日記は、現在4200冊余が残されていますが、これを保存した蔵がここにありました。

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弘前城(弘前公園)武者屯御門跡

武者屯御門跡

長勝寺構の黒門と同様の高麗門形式で、門扉は2枚扉になっていたといいます。

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弘前城(弘前公園)時太鼓櫓跡

時太鼓櫓跡

場内で時間を知らせるために太鼓を打ち出した場所で、1686年(貞享3年)にはじめられたと言います。

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弘前城(弘前公園)賀田御門跡

賀田御門跡

賀田御門は、三の丸の北門として旧賀田城(岩木町大浦城)の大手門を移築したと伝えられています。

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弘前城(弘前公園)西の郭未申櫓跡

西の郭未申櫓跡

この櫓は、三階建てであったことがわかっていますが、煙草の火の不始末で焼失してしまったそうです。

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[更新日:2012-03-29| カテゴリー: ]
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