武者屯御門跡 (ムシャダマリゴモン アト)

更新日:2012年03月29日(木)

かつては合戦時の号令所

弘前城(弘前公園)の武者屯御門跡

長勝寺構の黒門と同様の高麗門形式で、門扉は2枚扉になっていたといいます。門の内側には番所があり、さらに門の両脇に袖塀があったことが古い写真からわかっています。
二の丸と下乗橋で区画され、本丸に連絡路で続くこの一郭が「武者屯」で、合戦の際には大将が軍装を整えて号令を発する場所となっていました。

基本情報

場所 本丸
建築年代 不明

位置


より大きな地図で 武者屯御門跡 を表示

写真でみる

弘前城(弘前公園)の武者屯御門跡

当時の姿

天守閣資料館に、武者屯御門があった頃の写真が展示されています。


弘前城(弘前公園)の武者屯御門跡

あるのは看板だけ

下乗橋を渡り、すぐのところに、武者屯御門がありました。

周辺施設・スポット

天守/御三階櫓

弘前城(弘前公園)の天守

江戸時代に築かれ日本に現存する12の天守のうち、最北端に位置する天守です。
詳しく見る


内濠

弘前城(弘前公園)の内濠

施設内にみどころは多くありますが、中でも自然の美しさに人工的な造形を施した三の丸庭園、大石武学流庭園は一見の価値ありです。
詳しく見る


下乗橋

弘前城(弘前公園)の下乗橋

内濠を隔て、本丸と二の丸に架かる橋です。藩政時代、二の丸側には下馬札が置かれ、藩士は馬から降りるよう定められていました。
詳しく見る


旧天守閣跡(本丸未申櫓跡)

弘前城(弘前公園)の旧天守

この地には弘前城築城当初、5層の天守がありました。しかしこの天守は1627年(寛永4年)、火事により焼失してしまいます。
詳しく見る

最寄りの出口

弘前城(弘前公園)の東門口

東門口

追手門口と同様に、ここから入城する観光客も多くいます。まっすぐ進めば、どの出入り口よりも早く天守閣を見ることができます。
東門口の付近には、津軽為信公銅像で有名な「弘前文化センター」があります。文化センターには駐車場がありますし、その周辺には路線バスと100円バスの停留所があります。

最寄のトイレ


より大きな地図で 南口券売所前トイレ を表示

南口券売所前トイレ

本丸内、南口券売所付近にあります。
トイレの標識は、人々に解りやすい標識でありながら、公園の景観を損なわないデザインになっております。

跡一覧

弘前城(弘前公園)の子の櫓跡

子の櫓跡

櫓の中には、武具の他に藩庁日記なども保管されていたと言います。

詳しく見る

弘前城(弘前公園)の本丸戌亥櫓跡

本丸戌亥櫓跡

城郭に取り付く敵を攻撃したり物見のために造られました。

詳しく見る

弘前城(弘前公園)の籾蔵跡

籾蔵跡

平成12~13年の発掘調査で、籾蔵を構成する礎石列が確認されました。

詳しく見る

弘前城(弘前公園)の館神跡

館神跡

館神は、2代藩主信牧が太閤豊臣秀吉の木像を御神体として安置した場所でした。

詳しく見る

弘前城(弘前公園)の埋門跡

埋門跡

弘前城の築城当初、今の馬屋町一帯も城郭の一部として「外郭」と呼ばれていました。

詳しく見る

弘前城(弘前公園)の旧天守跡

旧天守跡
(本丸未申櫓跡)

この地には弘前城築城当初、5層の天守がありました。

詳しく見る

弘前城(弘前公園)の御宝蔵跡

御宝蔵跡

この御宝蔵には、青山と呼ばれた琵琶や、小野小町が持っていたと伝えられる琴があったといわれました。

詳しく見る

弘前城(弘前公園)の御金蔵跡

御金蔵跡

1673年(寛文13年)の絵図面に記載が見られますが、1680年(延宝8年)に建設されたとも言われています。

詳しく見る

弘前城(弘前公園)の本丸井戸跡

本丸井戸跡

籠城の際の生命線となる井戸の跡です。

詳しく見る

弘前城(弘前公園)の本丸御殿玄関礎石

本丸御殿玄関礎石

この礎石に、本丸御殿の玄関の柱が建てられていました。

詳しく見る

弘前城(弘前公園)の御日記蔵跡

御日記蔵跡

弘前藩庁日記と呼ばれる日記は、現在4200冊余が残されていますが、これを保存した蔵がここにありました。

詳しく見る

弘前城(弘前公園)の武者屯御門跡

武者屯御門跡

長勝寺構の黒門と同様の高麗門形式で、門扉は2枚扉になっていたといいます。

詳しく見る

弘前城(弘前公園)の時太鼓櫓跡

時太鼓櫓跡

場内で時間を知らせるために太鼓を打ち出した場所で、1686年(貞享3年)にはじめられたと言います。

詳しく見る

弘前城(弘前公園)の賀田御門跡

賀田御門跡

賀田御門は、三の丸の北門として旧賀田城(岩木町大浦城)の大手門を移築したと伝えられています。

詳しく見る

弘前城(弘前公園)の西の郭未申櫓跡

西の郭未申櫓跡

この櫓は、三階建てであったことがわかっていますが、煙草の火の不始末で焼失してしまったそうです。

詳しく見る


[更新日:2012-03-29| カテゴリー: ]
PR