子の櫓跡 (ネノヤグラ アト)

更新日:2012年03月29日(木)
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3層の櫓

弘前城(弘前公園)の子の櫓跡

北の郭北東隅の土塁上には、藩政時代を通して3層の櫓がありました。櫓の中には、武具の他に藩庁日記なども保管されていたと言います。

子の櫓は廃藩置県以降もその姿をとどめていましたが、1906年(明治39年)に花火のため焼失してしまいました。

平成13年度の発掘調査により、正方形に並ぶ櫓の礎石と石段が確認されました。

櫓の礎石には、石切の際の矢穴や柱を据えた凹みのあるものがあり、中央には束石があります。

櫓の規模は4間×4間(約8×8メートル)であり、二の丸に現存する3棟の櫓と同規模となります。

現在は跡地の周囲を囲む展望デッキから、芯柱の礎石など発掘されたままの状態を見ることができます。

基本情報

場所 北の郭(有料区域内)
建築年代 19世紀前半
棟高 8メートル
棟幅 8メートル
本丸入場料金 大人:300円/子供:100円
団体(10名以上)の場合

大人:240円/子供:80円

位置


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弘前城(弘前公園)の子の櫓跡

デッキ

子の櫓跡の全体を見るには、高いところから見るのが最適です。こちらからのぼり、全体を見回してみましょう。


弘前城(弘前公園)の子の櫓跡

見晴し

デッキの上からです。結構な高台であるのがわかります。


弘前城(弘前公園)の子の櫓跡の石段

石段

石段が残っています。ここから櫓まで登ったのでしょう。

周辺施設・スポット

弘前城(弘前公園)の籾蔵跡

籾蔵跡

4代藩主信政の生母である久祥院の屋敷がありましたが、1704年(宝永元年)以降は宝蔵や籾蔵が建てられました。
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弘前城(弘前公園)の武徳殿休憩所

武徳殿休憩所

武徳殿は、柔剣道の練習場として明治末期に建設されたものです。現在は土産物店や喫茶店などになっています。

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弘前城(弘前公園)の館神跡

館神跡

館神は、2代藩主信牧が太閤豊臣秀吉の木像を御神体として安置した場所でした。

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弘前城(弘前公園)の鷹丘橋

鷹丘橋

濠を隔て、本丸と北の郭に架かる橋です。藩政時代は、敵の侵入を防ぐため、戦時には壊される架け橋でした。
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最寄りの出口

弘前城(弘前公園)の春陽橋口

春陽橋口

桜のトンネルを横切り、春陽橋を渡るとすぐ出口です。

最寄のトイレ


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武徳殿前トイレ

北の郭、鷹丘橋から西口券売所までの間、武徳殿休憩所付近にあります。

トイレの標識は、人々に解りやすい標識でありながら、公園の景観を損なわないデザインになっております。

トイレ情報の一覧は、こちらからご覧いただけます。

跡一覧

弘前城(弘前公園)の子の櫓跡

子の櫓跡

櫓の中には、武具の他に藩庁日記なども保管されていたと言います。

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弘前城(弘前公園)の本丸戌亥櫓跡

本丸戌亥櫓跡

城郭に取り付く敵を攻撃したり物見のために造られました。

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弘前城(弘前公園)の籾蔵跡

籾蔵跡

平成12~13年の発掘調査で、籾蔵を構成する礎石列が確認されました。

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弘前城(弘前公園)の館神跡

館神跡

館神は、2代藩主信牧が太閤豊臣秀吉の木像を御神体として安置した場所でした。

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弘前城(弘前公園)の埋門跡

埋門跡

弘前城の築城当初、今の馬屋町一帯も城郭の一部として「外郭」と呼ばれていました。

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弘前城(弘前公園)の旧天守跡

旧天守跡
(本丸未申櫓跡)

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弘前城(弘前公園)の御宝蔵跡

御宝蔵跡

この御宝蔵には、青山と呼ばれた琵琶や、小野小町が持っていたと伝えられる琴があったといわれました。

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弘前城(弘前公園)の御金蔵跡

御金蔵跡

1673年(寛文13年)の絵図面に記載が見られますが、1680年(延宝8年)に建設されたとも言われています。

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弘前城(弘前公園)の本丸井戸跡

本丸井戸跡

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弘前城(弘前公園)の本丸御殿玄関礎石

本丸御殿玄関礎石

この礎石に、本丸御殿の玄関の柱が建てられていました。

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弘前城(弘前公園)の御日記蔵跡

御日記蔵跡

弘前藩庁日記と呼ばれる日記は、現在4200冊余が残されていますが、これを保存した蔵がここにありました。

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武者屯御門跡

長勝寺構の黒門と同様の高麗門形式で、門扉は2枚扉になっていたといいます。

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時太鼓櫓跡

場内で時間を知らせるために太鼓を打ち出した場所で、1686年(貞享3年)にはじめられたと言います。

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弘前城(弘前公園)の賀田御門跡

賀田御門跡

賀田御門は、三の丸の北門として旧賀田城(岩木町大浦城)の大手門を移築したと伝えられています。

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弘前城(弘前公園)の西の郭未申櫓跡

西の郭未申櫓跡

この櫓は、三階建てであったことがわかっていますが、煙草の火の不始末で焼失してしまったそうです。

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[更新日:2012-03-29| カテゴリー: ]
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